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自己管理が出来るようにする

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写真…アゲハ(今年初の写真です。なかなか撮れませんでした。)
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人間不信と偶像について(8月11日)の続きです。

色々な形があるので、ここでは私のケースとして記します。
まず、人格と精神の回復→社会復帰リハビリの順序にする必要が
あるのですが、もし、逆に、人格と精神の方を回復しないまま、
社会復帰に取り組んでしまうと、本当に…大変な事になります。
なので、きちんと、自分の状態と順序と段階をわきまえる事で、
適切で健全なリハビリとなって行くのでした。

社会復帰リハビリの具体的な内容についてですが、
現段階で実践している事をメモする形で記します。

・日常生活に必要な家事全般の実践と習慣化。
・体力を身につける運動。
・食事のレシピを自主的に考える。
・報道ニュースをチェックする。
・色々な出来事について吟味する。
・人間関係について吟味する。
・積極的に精神のケアをする。

まとめて言うなら、自己管理が適切に出来るようにするための
トレーニングです。私の場合は、マインドコントロールによる
思考停止の期間が長かっただけでなく、幼少時から人に絶対服従
する癖があったので、自己管理が出来ない状態でした。

参照聖句
ローマの信徒への手紙12章1~2節 (新共同訳聖書より)
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに
勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なるいけにえとして
捧げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を
新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、
何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかを
わきまえるようになりなさい。

人間不信と偶像について

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写真…雨の日のクローバー達
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ある事で、「人間不信」の事を思い浮かべていました。
現在の私は、人間不信といったものが消えていて、
「人間は誰でも間違いを犯す」というのを受け入れていますが、
人間不信に陥るとはどういうものなんだろうかと考えていました。

いろいろな形が沢山あるので、一つのケースとして記します。

私事ながら、人格と精神の回復リハビリを経て、今は、社会復帰
リハビリ(※)の最中で、リハビリをしている内に、いつの間にか
『人間不信』が消えていったんですね。あれ?って感じでした。

※社会復帰リハビリの具体的な内容は、のちに記す予定です。

それが、今となって分かったのですが、私自身、人間は誰であれ、
間違いを犯す。100%非難されない聖人君子はどこにもいない。
という事を素直に受け入れるようになってから…でした。

以前は、何よりもパートナーに対して、完璧さを求めていました。
ちょっとした欠点を見つけただけで非難したり…本当に申し訳ない
ぐらい、色々深く傷つけてしまっていました。謝罪しましたが、
何だか謝罪の言葉が薄っぺらで安っぽくて今でも腹が立つ程です。
それでも許してくれたのですが…かえって、今でも心が痛みます。

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「証し」のつもりが…

ツユクサの写真

写真…ツユクサの花
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私事ながら、もう一度改めて、教会から教わった内容を
取捨選択しながら再吟味している所です。カルト的な思想が
あったにせよ、全て捨て去るべきものではなく、大切なものも
含まれているので、短絡的に捨てるのは勿体ないです。

また、教わった事が、意識の深い所まで入っているものも
あるので、それらも整理している所です。正しい事なのか
間違っている事なのかというよりも…、うまく言えないけれども、
その教会特有…というか、また教派が持つ文化や慣習や価値観が
ありますよね。その一つが証しです。(『プロテスタント 証し』で
検索すると、詳しく調べられます。)

例えば、教会やクリスチャン個人から「証しをお願いします」と
促されても、内容によって、公の場で話すのが難しい場合や、
その意思がない場合は断る事が出来ます。"現在の法律"でも、
その権利が与えられていて、守られるように出来ています。

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正義のつもりであっても

かごの写真

写真…手編みのかご(六つ目編みで編んだもの。2010年頃制作)
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ふと、思い出された事です。
具体的な内容の記述は控えますが、ある出来事がありました。
当時の私は、様々な問題を抱えていて、情的なものに
流されているような…良いとは言い難い状態でした。

そんな時、あるトラブルが起きました。それを目にして
立ち上がって行こうとしましたが、「あなたのような
立場の人は行ってはならない。ある人の立場を悪くして
しまうのだ。」と心に語りかけて来たのでした。

結局、別な人がトラブルを収めてくれたのですが、
後になって、間柄を知るその人が私をとがめました。
『どうして行かなかったのか? あなたこそがちゃんと
止めてあげれば良かったのに。』と。あの時は、何も
言えませんでした。申し訳ありませんと謝罪するのも
立場的にはおかしいし、かといって、ある人の立場が
悪くなるから、行かなかったとも言えませんでした。
どう説明したらいいだろう…と分からなくなって、
そのまま黙り込みました。

でも、後になって、ああ行かなくて良かった…と。
立場…といっても、公的な組織的なものではなく、
個人的でプライベートなものですが、公共の場では
私が仲裁するのは不適切である…というものです。
そういうものもあるのだ…というのを思います。

身近な所で宗教の姿を見てみる

ベニシジミの写真

写真…ベニシジミ(なぜか枯れた花に止まっていました)
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時々、ノンクリスチャン時代の視点で、"宗教の姿"を
見つめてみる時があります。その姿は、自分の姿でも
あったりするので、完璧ではないけれども、比較的に
客観視しやすくなるようです。

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ある出来事がきっかけで、度々、思い出される出来事が、
今となって、はっきり目の前に浮かんで来ました。
事務員時代に、普段から個人的な交流がなかった、
複数の同僚の方々に誘われて一緒にお茶を飲んでいた時に、
突然「神を信じていますか」と言われました。しかも、
同僚の一人からは、「いい人ぶっている」と非難されました。
楽しいお茶会のはずが、黙り込んでしまったんですね。
(ただ、その心境は分からなくはないです。自分を押し殺して
いい人をやって評価される人にイラッとして裁きたくなる…)

別の同僚が、「言い過ぎだよ!」と、その同僚をとがめて、
私に対して「ごめんなさいね」と謝ったのでした。その方々は、
クリスチャンだとは名乗り出ていなくて、キリスト教なのか
どこの宗派なのかは分かりませんでした。

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