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クリスチャン新聞とクリスチャントゥデイについて

木蓮の冬芽の写真

写真…木蓮の冬芽(モモンガっぽい?)
240×320サイズ

記すのが遅れてしまいましたが、個人の見解として記します。
分かりづらいクリスチャン用語は避けている事をお許し下さい。
本題に入って…クリスチャントゥデイのトップに、クリスチャン
新聞に対する記事が本日20日記載されていますが、

私の方で、相撲協会の件に集中して情報収集をしていた最中に、
クリスチャン新聞とクリスチャントゥデイの事を知りました。
先週あたりだったと思います。偶然の出来事だとは思えない
タイミングを思いました。

今回の場合は、クリスチャントゥデイの異端性の有無を巡って、
論じ合っていますが、気になったのが、キリスト教メディア同士の
「感情的なもの」を感じさせるような描写があった事です。

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「疑惑」であれば断定しないようにする

信号の写真

写真…信号機
240×320サイズ

個人的に思っている事です。

その宗教団体や個人のカルト性に関しては、疑惑の段階にある時や
証拠になるものがない状態のまま「その団体はカルトだ」とか
「あの人はカルトだ」と断定すると、名誉毀損に該当するので
慎重にする必要があると思っています。お互いのために…。

そんな中で、どうしても、危険性を感じていて文章を起こしたい時は
まず、自分に対してルールを設けておきます。自分を制する為です。
そのルールの中で、感じている事や訴えたい事や理解して欲しい事を
言葉にします。必ず自己吟味しながら…。そうしないと滅茶苦茶に
なって、信用性まで失われてしまうので…。

忘れてはならないのは、対象になる人たちにも基本的人権があり、
信教の自由が与えられている事…。そこは強制する事は出来ません。
また、信教の自由があるからこそ、危険な団体だと判明したら、
脱するように保護したり促す活動をする自由もあると受け止めています。 関連記事…ルールを作っておく(2017年8月26日)

私自身、ずっと20年間も、カルト的な思想から抜け出せなくて、
精神的にも人格的にもボロボロでした。それ程、洗脳は一度されると
人によってはなかなか解けないです。わざとでもなく悪意でもなく、
本当に…本気で信じ込んでいる訳です。しかも思考停止しているから
自己吟味も出来ないので、言っている事と行動が一致しません。
しかも自分は正しいと思い込むので、非難されると反撃します。

マインドコントロールが解けたのは、震災の後でしたが、多分、
そのショックで引き起こされたのかも知れません。私の場合は、
目を覚ましたというよりも、消えていた当時の記憶が、次々と
よみがえってきた形でした。本当に…何が起きるか分からないです。
人それぞれ「定め」があるので、そこに委ねるしかないという事も
あると思っています。

説教台のカリスマ性と土俵上のカリスマ性の共通点

鳥の羽毛の写真

写真…野鳥の羽毛
240×320サイズ

ふと感じた事を記します。

私は、どちらかというと、そういったカリスマ性に弱い性質です。
今は自覚しているので、傾倒する事はなくなりましたが、
それでも「おっ!」と惹きつけられてしまいます。そうなっても
スイッチを入れなければ、傾倒する事はないですね。

どのようなカリスマ性を感じるか…というと、まずカッコいい。
堂々としていて雄弁であればあるほど、とても魅力的です。
説教台に立つ牧師たちがすごい男前。輝いてみえる。ところが、
説教台から降りると、ごく普通の人。別人のよう…。で、説教を
もっと聞きたくなって、あちこち回って、説教台から語られる説教を
聞きまくる。説教のコレクションみたいな…。回数を重ねるほど、
その説教者自身の人格や人間としての姿を見なくなってしまう。
説教する姿だけを楽しむようになる…。いわゆる説教ファンでした。
依存心も強くて、美化して100%無条件に受け入れていました。

現在は、取捨選択を繰り返しながら、吟味するようになったので、
説教そのものに傾倒する事はなくなっていますが、それでも、魅力を
感じると、全てがパーフェクトに見えてしまいます。クラッとする。
だから、グッとこらえて、繰り返して吟味するようにしています。

そうすると、自然と、その説教者の人間としての姿が見えるように
なるんですね。なんていうか、説教する人ではなくて、一人の人間。
一人の信仰者。一人の神様を探求する人。という風に捉えるように
なりました。次は、ありのままの姿も受け止める事が出来れば…と。
美化したり怒りを感じたり落胆するのは、認めたくないから。

依存していると心の余裕がなくなる

フキノトウの写真

写真…ふきのとう
240×320サイズ

自分の実体験を元にして、違うなあ…と実感している事をメモする
感覚で記してみました。人によって受け止め方が様々でありますし、
「健全さ」と「病的なもの」を私なりの視点で考えてみました。

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ここでは、年齢を問わない「友人関係」についてです。危ないかな。
度を超えているかな。真剣に考えた方がいいと感じるような事柄を
リストアップしました。念の為、私はカウンセラーではないので、
むしろ、クライアントの一人という視点に立っています。

・(友人の)交流関係を隅々まで把握しないと落ち着かない。
・朝から晩までずっと離れないでいたい。生きる時も死ぬ時も一緒。
・着るものも食べるものも意見も考え方も価値観も同じであるべき。
・本当の親友とは、友人の全てを100%理解出来ている事。
・友人の悩みを自分以外の人が知っているのがとても苦しい。
・自分一人で楽しむ趣味がなく、友人そのものがプライベート。
・友人と一緒に過ごした後、家に帰ると無気力感に襲われる。
・友人の言葉が自分の望むようなものになっていないと腹が立つ。

他にも色々ありますが、私自身、心の余裕がすっかりなくなって
かなり短気になっていました。幼少時はのんびり屋で短気では
なかったのに、人が変わったと言われた事がありました。それは、
初めて学校に行って友人たちと出会った時、友人と過ごす楽しさを
味わい、やみつきになって依存症を発症(?)したのではないかと
振り返っています。友人の存在が孤独感を埋めてくれるみたいな…。

人事の基準について思ったこと

山茶花の写真

写真…山茶花
240×320サイズ

現役時代の実績に関してはあまり深く考えた事がありませんでした。
でも、よくよく考えてみると、相撲の場合、生まれつきの運動能力と
体格と素質に加えて、基礎を身につけて稽古を積み重ねて力をつけ、
相手に勝つ回数を増やしていく…。そして、優勝回数を増やして
実績を残していく…。きっと、一般人には理解しがたいような事が
色々あると思います。具体的にどんな事なのかは分かりませんが…。

その一方、考えてしまうのが、「現役時代の実績によって、人事が
左右されるという考え方」についてでした。まして角界の人事の
ことを、外部の者があれこれ考えてもどうにもならないけれども、
どの場所でも共通するのが「人事が決まる基準」だと思いました。

私のケースになりますが、事務員時代の会社は、家庭や学校や企業や
自治体等にとって必要なものを提供する中堅企業の一つなので、
人材を確保するのに支障がなかったようです。適材適所のやり方で
人事が決められていて、私自身も、自分の能力を活かした仕事を
与えられていたので、仕事をこなすだけでなく、仕事の内容や質を
高めながら取り組む事が出来ました。

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