補足です

写真…ニラの花 240×320サイズ
過去にあったクリスチャンに対する嫌悪感(8月23日)で記した、
>聖書を否定する限り理解不能なのは当然で…否定すると自動的に
>理解が不可能になり、受け入れると理解可能になるメカニズムは
>嘘ではなかったと体感しました。
「受け入れると」という言葉が、今日になって、「違うのでは?」と
感じて考えていたら「受容力」が浮かびました。そういう意味なら
全然意味が違うのではないか。そういうものではない。何だろう…?
適切な言葉とは…? 言葉を探していましたが、なかなか浮かばず…。
それとは別に、説明が足りない所があったので、補足します。
ノンクリスチャン時代に知り合った友人でもあるクリスチャンは、
私が身を置いた教会との接点はなく、所属する教会も別々です。
つまり、私の場合は、身を置いた教会での様々な出来事によって、
クリスチャンを毛嫌いするようになった一人です。今はその感情は
消えています。教会や信仰問題の考察作業がきっかけでした。
考察作業中は、憎しみが生じたり消えたりの繰り返しで苦闘して、
もう終わりにして良いというタイミングが来た時、気がついたら、
クリスチャンへの憎しみの感情が消えていました。そもそもは、
情報提供が目的だったので、自分でも思いがけなかったです。