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灰色であっても…

写真…葛の花

写真…葛の花
240×320サイズ

今の気持ち(8月8日)で記した「終わったなあ」ですが、
実際は違っていて、終わっていないのかも…。(私の勘違いかも)
それはそれとして…ふと思った事です。

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元々、私は、白黒をはっきりさせたがる性格を持っていますが、
グレーゾーンといったものを味わっている内に見方が変わりました。
性格が変わったのではなくて、見方が変わっただけです。

子供の時に、綺麗な色が揃った絵具を眺めて…全部混ぜたら
どんな色になるのかなと試したら、薄汚いどぶ色でがっかりした
記憶が…。ずっと前に、灰色というものを許容するクリスチャンと
話した事があるのですが、後になって、その方の言いたかった事が
身にしみました。知識や見聞ではなくこの身で知ったので…。

なんでもかんでも100%正しさを追い求めると、壊れてしまう。
(念のため書きますが、メンタルの強さはまったく無関係です)
強風で大きくて太い木がボキッと折れてしまうような感じで、
それも自分や周りの人を破壊してしまう。それを防ぐためにも、
あえて灰色が許容される事もあるという事でした。自分は破壊
されない強さがあると自負するほど、とても危険だと思います。

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今の気持ち

小川の写真

写真…小川
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1ヶ月程blogをお休みしていました。心情的になかなか書けなくて…。
個人的な事ながら、去年の晩秋に始まって、今日はっきり終わりを
迎えました。何となくでしたが、終わりというものを感じ始めたのが
6月末でした。でも人情としては終わって欲しくない。続いて欲しい。
でも、終わるんだなあ…と直感的に感じていて、寂しさが押し寄せて
来るような心地でした。ブログも書きたくなかったです。本当に…。

正しい目で見るとしたら、早く終わらせた方がいいのですが、
情が移り、手放したくなかったです。ずいぶん色々あったけれども、
楽しかった事もあったからでした。それが、7月に入ってからは
変化が起きていました。それと共に「これはどうしても無理な事だ」
と痛感する出来事があって、私なりに終わりを迎える事を受け入れる
心の準備が出来ました。

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相手によって自分の言動が変わってしまう時

紫式部の花の写真

写真…紫式部の花
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最近感じている事です。というか、すごく痛感している事です。

「自分の事を棚に上げる」は私にもあって、今までを振り返ると、
相手によって、そういう行為をする時としない時がありました。

相手が、自分の事を棚に上げている行為をしていると、
「そういうお前が言うな」「自分に甘く他人に厳しいんだから」と
むかついて、結局、相手の非を責め立てたくなる衝動に駆られます。

逆に、相手が自分にも非があると認めている行為をしていると、
「あっ…自分にも非が…」「自分の事をちゃんと見ている…」と
恐縮して、気がついたら、人の非を責める前に自分の非について
考えようとします。でも、本当だったら、相手の言動に関係なく、
まず自分の中にあるでっかい梁を取り除かないといけないのですが、
いざとなると、果たしてそのようにやっているかどうか怪しいです。

ところが、自分に非があると認める事を「負け」と見なしていると、
相手が先に非を認めれば自分の勝ちだと思い込み、自分の欠点や
落ち度に気づかず、非を認めた相手をさらに非難しようとする…。
お互いにそうなっている状態だと、売り言葉に買い言葉となって
それが、お互いを疲弊させてしまう…。ストレスの元になったり。

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祈りコンプレックス

ハルジオンの写真

雨上がりのハルジオン
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ふと思いました。もし下記の事を尋ねられたら…?

「聖書を読むのが好きですか」
「祈るのが好きですか」
「賛美するのが好きですか」
「礼拝を捧げるのが好きですか」
「説教を聞くのが好きですか」等々…。

私だったら…答えに詰まってしまいます。何故なら「好き」とは
また違うというか…どう言葉にしたらいいか難しいけれども、
自然とそういう流れになった感じです。「神さまが好きですか」
だったら、「はい!」です。個人的には、神さまが好きだから
イエス様が好きだから、特別好きではなかった事をやるようになり、
やらないとつながる事が出来ないから…が始まりでした。

なので、長時間祈るという話を(この目で見た事はないですが)
聞いた時はびっくりしました。私だったら5分ほどで終わっちゃう。
その事もあって"祈りコンプレックス"みたいなものが出来て、
教会などで祈りの当番が私に来た時はすごく気が重かったです。
(祈りたくない…祈りの言葉が出て来ない…真っ白…困った。)
と心の中でつぶやきつつ、そつなく祈らなくちゃ…と、無理矢理
"祈りを盛る事"をしてしまう事も度々ありました。あの時に勇気を
出して正直にその心境を話せば良かったのですが、勇気を出す事が
出来なかった自分をわざわざ責める必要はありませんでした。

「さっばり分からん」という心の訴えを神様が聞いて下さった事を
知ってからは、祈りコンプレックスが吹っ飛びました。

真面目(?)に祈れない時も

ビオラの写真

写真…ビオラ
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ちょっと大げさに言うなら、アガペーという愛の中で清く正しく
全てを捧げてそして色々…しかも神様が寂しがるから、神様のために
交わりデートをたっぷりして(あげて)、御心エキスがたっぷり入った
信仰生活を送る事が神様を喜ばせる事だというのを教わりました。
どこから来た教えなのかは、私には分からないけれども…
当時は、何の疑いも持たず、そのまま信じ込みました。

ところが、実生活の中では、とてもとてもその通りには出来ません。
神様が寂しがる??? それって…神の神による神の為のアガペー???
ものすごく疲れました。祈らない=咎められる=不信仰。という
空気感があったので、祈るのが苦手な私にとっては、主の祈りほど
励みになったものはありませんでした。念のため…あらゆる祈りを
拒否しているのではなくて「ついていけなかった」です。

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