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個人礼拝

使徒信条が書かれた文面の写真

写真…使徒信条のコピーを讃美歌集の内表紙に貼ったものです。
240×320サイズ

2月末に、個人礼拝を始めて一ヶ月目です。礼拝スタイルは、
一時期通っていた日本基督教団の改革長老教会の礼拝を参考に
しながら、礼拝時間は、15分~30分ぐらい。(礼拝スタイルは、
落ち着けるという事で、自然とそういう形になりました。)

個人礼拝を始めたきっかけは、教会に対する恐怖が弱まって
落ち着いて来た時、神さまが、場所は別々であっても、
日曜日に礼拝を捧げる人々と共に礼拝をしなさいと勧めて
下さった事でした。本当に…心の交わりが感じられて、
共同体という気持ちです。

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私が身を置いていたのは、バプテスト系の会衆派の流れをくみ、
宣教師によって建てられた教会とその子教会の両方で、
時期と活動によって移動しながら、教会生活を送っていました。

その礼拝のスタイルは、形式ばらず、堅苦しくない雰囲気が
ありました。和製外来語ならカジュアルという表現ですが、
英語のcasualは、上記とは意味が違うような印象を受けます。
何故なら、いい加減で遊び半分で、礼拝を捧げた訳ではなく
安っぽくて薄っぺらな礼拝でもなかったからです。

その前に、改革長老教会の礼拝に出ていた時は退屈だなあと
感じていたので(苦笑)、賑やかで開放的な礼拝スタイルが、
魅力的でまぶしかったです。当時の私はそう感じたものです。
(但し、賑やかといっても、むしろ、その宣教師の好みとは
正反対のスタイルだそうで、受容していたとの事です。)

その宣教師が、自分のカラーで教会を染めるとか、自分の名が
称えられるのを極力避けようとしていた印象を受けました。
宣教師となると、称賛を浴びるので、生身の人間であるゆえ、
多くの誘惑が沢山あるであろう…と、想像出来るほどでした。

何よりも、信徒たちを、宣教師自身に依存させないように、
しかも、カルト化に走らないようにと、イエス・キリストに
結びつけようと苦心していたのでしょうか…。以前の私は、
教会がおかしいのは宣教師が悪いからだ!!と想っていました。

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