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聖書の読み方によっては

聖書の文面の写真

写真…コリント人への手紙第一の文面の一部(新改訳聖書)
240×320サイズ

※聖書の文面の写真を差し替えました。前の分は
ぼやけていたので、くっきりするように修正しました。
イラストの方も小さいサイズの方の文字をくっきり
させて、枠も入れて差し替えました。(4月7日)

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ノンクリスチャン時代の話。Ⅰコリント13章の内容を、
聖書を見せながら教えてくれたクリスチャンの友人は、
とても暗い顔をしていました。聖書の教えに従いたいのに、
なかなか心から従えない…というような事を話していました。

友人としては、「愛は」を全て「私は」に置きかえて
読んでいたそうです。ある牧師から教わったの事でした。
あの時は、ため息が出たものです。クリスチャンって
こんなレベルの高い修行をしているものなのか…と。
正直言って、気が遠くなる思いをしました。

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本当は、手紙全体を捉えるだけでなく、他の諸手紙と
照らし合わせて読む方が望ましいけれども、あえて、
この箇所だけ引用します。(新改訳聖書より引用)

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。
愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、
自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、
すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。
(コリント人への手紙第一13章4~7節)

後になって、その事を思い出している内に、気になりました。
私も、同じような読み方をした事があったけれども、
この読み方は、かえって、反対に、読み手を縛りつけて
しまわないだろうか…。もちろん「私は」に置きかえて
捉えるのは全否定しないけれども、不健全な霊性を育てて
しまわないだろうか。うまく言えませんが、言い換えるなら
「ああ…今日もまたイエス様を十字架につけて殺した」と
自分で自分を罰するのを繰り返してしぼむような感じです。

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Ⅰコリント13:4-7を読んだ時の心境をイメージした絵ですが、
この箇所だけでなく、聖書の読み方や捉え方によって、霊性、
信仰面、精神面、思考、心身に及ぼす影響を表したものです。

イラスト1

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イラスト1
普通に聖書を読んでいる様子。

イラスト1

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イラスト2
「愛は」を「私は」に置きかえて読んでいる内に
自分に失望して自分を罰して窮屈になる様子。

イラスト1

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イラスト3
聖書の教えに従えず、「御言葉うつ」になり
自己嫌悪、御言葉の実践に無気力になる様子。

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