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写真:ナズナの花
16日記の続きです。
「何を考えていたのか」「どういう気持ちだったのか」
など、そういった部分は、目に見えないので、
どうやって、推し量れるのだろうか…。
本人しか分からない…といっても、例えば、
100%正確に事細かに記憶しているのか。
そして、起きた出来事をどう把握しているのか。
本人であっても、限界があるんですよね。
今、こうして、ブログを記していますが、
すごく時間がかかるので、私にとっては
ブログを書いた日は「ブログだけの一日だった」
という風に記憶しています。
しかし、今日の出来事をまとめてみると、
ブログだけではなく、色々な事をやっています。
何時何分に何をしたのか。本当に…
全てを把握しきれず、覚えられません。
なので、「今日はブログに専念していた」と思い込みます。
また、都合の悪い事は忘れちゃう。
都合のいい事だけ覚えちゃう。というのもあったり…。
他にも (自分だけでなく) 沢山ありますが、
本当にあいまいで、あやふやで、危なっかしくて…
記憶力だけでは、あてにならないなあと思うのでした。
それから、受けた印象によって、イメージが
変わって来るんですよね。イメージアップというのが
ありますが、悪く言えば、良い印象を与えようと欺く…。
そういう面もあるので、出来上がったイメージに
惑わされて、物事の本質が見えなくなるというのもあります。
例えば、
『苦労人と聞くと、色々苦労していて、立派な人格の
持ち主という良いイメージがある。ところが、そういう人が、
犯罪を犯したとたんに、今度は「苦労人は犯罪者が多い」
という悪いイメージに塗り替えられ、それが一人歩きする。』
今までは、苦労人は、いいイメージがあったのに、
イメージが悪くなった。と決めつける。
その人を、"一人の人間"として見ようとせず、
自分や他人の描くイメージで、見ようとしてしまいます。
さらに、多彩で豊富で膨大な情報が、毎日のように飽きなく
更新されるものの、印象操作されている物もあるので、
かえって、ますます、諸々のイメージが植えつける"虚像"に
振り回されやすくなっているような気がして来ました。
うまくまとめられませんが、簡単に言うなら、
レッテル思考とタブロイド思考と似たようなものです。





